SHIN'S PHOTO GALLERY

写真とその周辺について書きます

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細江英公さんのことば

2月5~6日の2日間に渡って、写真家細江英公氏のことばに接する機会があった。具体的にはTANTOTEMPO主催のトークショーと祝賀会、神戸ファッション美術館の講演会という3回で話された内容のうち、写真を撮る立場として記憶にのこったことを忘備録として記しておく。

写真について
写真は関係の芸術だ。被写体と自分との関係だ。被写体がなければ成り立たない芸術だ。妄想から始まっても被写体があって始めて写真が撮れる。
自分と被写体の関係が深くなると客観的になる。報道写真の場合、客観を撮るという主観になる。
自分のことを写真にすると主観に傾いてくる。

写真家に主体があり、すべての責任は写真家にある。

面白いと思ったら、やればいい。

何を撮るかよりもいかに撮るかが大事だ。何をなら・・・珍しいものになる。
だれでも撮れる様な物をいかに撮るのか。
その人でなければ撮れないような。


1995年阪神淡路大震災のとき何かできることはないかとアービングペンなど世界中の名だたる写真家700人に呼びかけて作品を送ってもらいオークションを行って売上を神戸に寄付した。写真家はみな積極的に協力してくれた。写真家は人への共感・理解がある。それは被写体がなければ成り立たない写真というものにかかわるからではないか。人やものを撮る写真家だから積極的に援助したのではないか。


ボクはシャイなくせに、自分が一度会ってみたいと言う人に会えると、何故か自分から話しかけることができる。細江英公氏もそんな会いたいひとりだった。
しかし、今回いつものようにこちらから話しかけることはなかった。これが何故なのか自分でも不思議なのだが。細江英公氏が気さくな方であるのは、トークショーのあとのレセプションから分かっていた。だから気おくれすることもなかった。でも話しかけていないのだ。自己分析できていないので、すっきりと説明できないのだが、細江氏の場合、ボクと同じ場所に居て、数メートル先で写真の話をされているということ、そのことばを聞くことだけで妙に満足していた自分がいた。ほんとうに不思議な体験だった。

上記以外にご自身の代表作についても多くのことを話されている。
トークショー並びに祝賀会についてはTANTOTEMPOより、リポートが出るのではと推察している。
興味のある方は、そちらをご覧ください。

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