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SHIN'S PHOTO GALLERY

写真とその周辺について書きます

「彼らが写真を手にした切実さを」読了

『彼らが写真を手にした切実さを』(大竹昭子著/㈱平凡社刊)読了。面白く読めた。アートとしての写真が欧米世界の写真の趨勢であることを前提にしつつ、従来の日本の写真とコンセプト重視のアートとしての写真を比較して長所・短所に触れているところや。従来の日本の写真の可能性を感じさせてくれるところ。このふたつが興味深く感じた。

欧米人は写真を言葉で説明されて納得するのだろう。少なくとも写真のイメージだけでは評価しないのだろう。一方でボクも含めて日本の写真を撮る人は簡単に言葉に置き換えられない写真を撮りたいと思っている人が多いのではないかと思う。高梨豊氏は『ことばに回収されない写真』と言っていたと思う。

従来の日本の写真というからには、少なくともグローバルではないローカルの写真であるという前提になる。では簡単に言葉に置き換えられない写真の魅力や存在意義をどうやってグローバル(ここでは欧米)に理解させるのかというと、(欧米の人は写真イメージだけで納得しないから)ここで言葉が出てくるはずだ。
過去から現在にかけて膨大な日本の写真イメージが撮影されてきた。その中にはすばらしい写真もたくさんある、これは事実だろう。ならばこの魅力をしっかりグローバルに説得しなきゃいけないだろう。この仕事は本質的には写真家の仕事ではないはずで、写真は撮らないけれど撮られた写真を評価したり評論したりする人が行うというのが本当だろう。写真のことが分かる言葉の専門家の仕事だ。

一方で写真を撮る人も自分の写真を少なくとも日本人に日本語で最低限の説明ができなければ、単にものを考えてない人であると解釈される時期に来ているのではないだろうか。少なくとも言葉が苦手だから写真をやってますという程度では説得力はないとボクには思えるのだが。
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