
↑A・ダカタ氏は参加写真家に対し、緊張感あるゲームをなげかけた
盛りだくさんのメニューの中から、シンポジウム・ポートフォリオビューイング・スライドショーを見ることができた。ポートフォリオビューイングは様々なタイプの写真を手にとって見ることができ、写真家がその場に居るので、直接疑問点を質問することが出来る稀な機会だと思う。
出色だったのはシンポジウムだ。中でも「東京画」プロジェクトをスライドで紹介しながら聴衆に語りかける太田菜穂子女史の強い言葉の数々に感銘を受けた。ここで語られたことはこの混沌とした時代、何でもありの写真の世界で写真家を力づけ鼓舞するに十分なものだと思う。話の内容は「東京画」のweb <なぜ写真なのか>に同趣旨のものを読むことができます。
東京画 http://www.tokyo-ga.org/about/
さて、今年関西で写真祭・フェスティバルと呼ばれる企画が神戸と京都で開催された。写真祭ではないけれど大阪では公開ポートフォリオレビューのミオフォト大阪がある。
これらの企画は写真家がレビューを受け写真やスライドを提示し、写真を見ることの好きな人が見に来て写真の魅力を享受するというのが本来の姿だろう。でも、今「写真を撮らないけれど写真を見ることが好き」という人の数はまだまだ少ない。ということは、本来の形になるまでの間、写真を撮りなお写真を見ることの好きな人が見に行かなければ、これらの企画は存続できなくなるだろう。
これら写真祭・フェスティバル(含むMIO PHOTO OSAKA)は一度無くなってしまったら、なかなか復活は難しいものだろう。無くなってから残念だねと言っても手遅れなのだ。
そうならないためには、まず、ボクたちが参加したり見に行くことだ。そしてその素晴らしさを周りの人に伝えることだ・・・とぼくは思うのだ。
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